HOME > エンタメ > 【衝撃告白】藤島ジュリー景子、母との確執で10年出社拒否
ジャニーズ帝国の後継者であるジュリー氏が、
母親との確執で、10年間も会社に行っていなかった…。
このニュースを見て、「そんなことがあり得るのか?」と、
にわかには信じられない気持ちですよね。
私たちが抱いていた“女帝”のイメージとはかけ離れた、
華やかな帝国の裏で起きていた、壮絶な母娘の物語に、
ただただ、言葉を失ってしまいます。
その衝撃、当然です。
本日発売された、ジュリー氏の47時間に及ぶ告白本『ラストインタビュー』には、
これまで決して語られなかった、驚きの真実が記されていました。
この記事では、その中でも最も衝撃的な、
母・メリー喜多川氏との確執による「10年間の出社拒否」の真相について、
本人の言葉を元に、その全貌を解説します。
この記事を読めば、あなたが抱いた「なぜそんなことに?」という
大きな疑問に対する、驚きの答えが分かります。
そして、これまで「冷徹な経営者」としか見えなかった藤島ジュリー景子という人物の、
娘として、一人の女性としての、知られざる苦悩と素顔に触れることで、
一連のジャニーズ問題を、全く新しい「家族の物語」として理解できるようになるでしょう。
「メリーは“嵐は娘が育てた”とは絶対に認めなかった」 藤島ジュリー景子が初告白する母・メリー喜多川との“歪な関係” 「私と元夫に探偵がつけられたことも」https://t.co/loLoPsDnDL#デイリー新潮
— デイリー新潮 (@dailyshincho) July 18, 2025
本日2025年7月18日、日本のエンターテインメント史を揺るがす一冊の本が出版されました。
その名も、『ラストインタビュー―藤島ジュリー景子との47時間―』。
これまで決してメディアで自らを語ることのなかった、旧ジャニーズ事務所の代表・藤島ジュリー景子氏が、初めて重い口を開いたのです。
この章では、全ての告白の始まりとなった、この本の概要と、出版の背景に迫ります。
本書は、ジュリー氏の“独白”ではなく、小説『イノセント・デイズ』で知られる作家・早見和真氏がインタビュアーとなり、47時間にわたって行われた「対話」を記録したものです。
ジャニー喜多川氏の性加害問題について、これまで公の場で見せてきた「公式見解」の裏側で、彼女が何を考え、どう苦悩していたのか。
そして、これまで決して語られることのなかった、ジャニー氏や母・メリー氏との歪な家族関係、そして「派閥問題」の真相まで、その全てが赤裸々に綴られています。
SMILE-UP.として被害者補償に専念し、タレントのマネジメント業務はSTART-O社へ移行した今、なぜ彼女は自ら全てを語ることを決意したのでしょうか。
その理由は、謝罪会見や文書だけでは伝えきれなかった、自らの言葉で「人間としての苦悩」を伝え、世間の厳しい批判に、誠心誠意向き合う覚悟を示すためだと思われます。
これは、ジャニーズ事務所という一つの時代の「終わり」と、自らの「過去」を、ジュリー氏自身の手で総括するための、最初で最後の告白なのです。
藤島ジュリー景子が初めて明かす旧ジャニーズ事務所の「派閥」について 「共演NG」の真相は?https://t.co/rPkaZSIf60#デイリー新潮
— デイリー新潮 (@dailyshincho) July 18, 2025
本日発売の『ラストインタビュー』の中で、多くの読者が最も衝撃を受けるであろう告白。それは、これまで決して語られることのなかった、母・メリー喜多川氏との壮絶な「確執」です。
ジャニーズ帝国の後継者と見られていた彼女が、全盛期にあったはずの2008年からの10年間、事務所にほとんど足を踏み入れていなかったというのです。
その信じがたい事実の裏には、歪(いびつ)としか言いようのない、母と娘の物語がありました。
ジュリー氏が会社から遠ざかる、直接的なきっかけ。それは、驚くべきことに、彼女自身が担当し、国民的アイドルへと育て上げた**「嵐」の大ブレイク**でした。
娘が手掛けたグループの成功は、母親にとって最大の喜びであるはず。しかし、絶対的な権力者であったメリー氏にとって、それは自身のコントロールが及ばない「娘の成功」であり、認めることができなかったのです。
「メリーは“嵐は娘が育てた”とは絶対に認めなかった」
本の中でそう語られるように、娘の成功を素直に喜べない母親と、その母親からの正当な評価を得られない娘。その歪な関係が、二人の間に深い亀裂を生んでいきました。
母娘の確執は、やがて異常な領域へと達します。
ジュリー氏は、本書の中で、なんと**母親であるメリー氏によって、自身と当時の夫との間に「探偵をつけられていた」**という、衝撃の事実を初告白しています。
実の娘の行動を、探偵を使って監視する。これは、もはや単なる親子のすれ違いではありません。
後継者であるはずの娘を、全く信用していなかったという、帝国を支配した女帝の恐ろしい一面が、このエピソードから浮かび上がってきます。
ジュリー氏が「出社拒否」に至った背景には、私たちの想像を絶する、壮絶な孤独と不信感があったのです。
母・メリー氏との壮絶な確執に加え、今回のインタビューでジュリー氏が初めて詳細に語ったのが、長年、旧ジャニーズ事務所の“タブー”とされてきた「派閥問題」です。
飯島三智氏がマネジメントした「SMAP」と、ジュリー氏が手掛けた「嵐」。
頂点を極めた二大国民的グループの間に、本当に「共演NG」は存在したのか。そして、彼女は叔父・ジャニー喜多川氏をどう見ていたのか。その本音に迫ります。
かつて事務所のタレントは、メリー氏とジュリー氏が率いる「ジュリー派」と、SMAPのマネージャーであった飯島三智氏の「飯島派」に分かれている、と噂されてきました。
そして、その象徴とされたのが、SMAPと嵐の「共演NG」です。
この点について、ジュリー氏は本書の中で、「『キスマイと共演したくない』とか『セクゾと共演させない』といったことは思ったことさえありません」と、派閥による全面的な共演NGを否定しました。
しかし、続けて、
「さすがに『SMAP』と『嵐』の扱いについてはすごく気をつけていましたけど」
と、この二大グループに関しては、特別な配慮があったことを初めて認めています。
これは、派閥の存在を間接的に認めた、極めて重い証言と言えるでしょう。
帝国の創業者である叔父・ジャニー喜多川氏。その後継者であるジュリー氏は、当然、彼から帝王学を学び、公私ともに密な関係だったと誰もが思っていました。しかし、そのイメージも、今回の告白で覆されます。
ジュリー氏は、ジャニー氏との関係が極めて希薄であったことを告白。
「小さい頃に限らず、二人でご飯を食べたことは一度もありませんでした」
と語り、最も印象に残っている関わりは、高校生か大学生の頃、少年隊の米国遠征に「英語を話せる人間」として、通訳で同行させられたことくらいだ、と明かしています。
経営方針を語り合うことも、家族として食卓を囲むこともなかったという、叔父と姪の意外なほどドライな関係。これもまた、彼女の苦悩を理解する上で、重要な証言です。
今回のインタビューで、母や叔父との関係性と並んで、最も注目されるのが、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対するジュリー氏自身の認識です。
昨年(2023年)の会見では、「知らなかった」と繰り返していた彼女。しかし、今回の告白では、その言葉の裏にある、より複雑な心境の変化と、自らが犯した過ちについて、初めて詳細に語っています。
これは、この問題の根幹を揺るがす、極めて重要な証言です。
昨年5月の謝罪動画で、ジュリー氏はジャニー氏の性加害について「知りませんでした」と述べました。
しかし、なぜ知らなかったのか、というインタビュアーの問いに対し、彼女は本書の中で、こう認めています。
「文春裁判の結果を受けたあとも、深く知ろうとしなかったからです。それが私の最大の過ちです」
これは、単なる「知らなかった」という事実の告白ではありません。
真実を知る機会があったにもかかわらず、自らの意思で行動しなかった「不作為」という罪を、彼女自身が初めて認めた、非常に大きな心境の変化なのです。
では、なぜ彼女は「知ろうとしなかった」のでしょうか。
その理由について、ジュリー氏は自らの弱さを、こう分析しています。
「私の生きる術(すべ)だったんです。深追いして傷つくことを恐れて、知らない方がいいと思ってしまう。それは今回の件に限らず、私は万事そうなんです」
尊敬する叔父の、そして自らが所属する組織の暗部から、目を背けることで自分を守っていた。
これは、決して許されることではありませんが、巨大な帝国の中で生きてきた彼女の、人間的な弱さが垣間見える、痛々しいほどの自己分析と言えるでしょう。
母・メリー氏との10年に及ぶ確執、SMAPと嵐を巡る派閥問題への言及、そして叔父・ジャニー氏の性加害に対する「知ろうとしなかった」という痛切な告白…。
本日発売された『ラストインタビュー』で明かされた内容は、そのどれもが、これまで私たちが抱いてきた「ジャニーズ帝国」のイメージを根底から覆す、衝撃的なものでした。
最後に、彼女の告白が持つ意味と、それが日本社会に投げかけたものについて、改めて考えてみましょう。
後継者でありながら、母親との歪な関係により、会社の中枢から10年間も離れていたという衝撃の事実。これは、帝国が強固な一枚岩ではなかったことの証左です。
「SMAPと嵐の扱いには気をつけていた」という言葉は、長年噂されてきた「派閥」の存在を、当事者が初めて認めた、極めて重い意味を持つ発言でした。
「知らなかった」から、「傷つくことを恐れ、知ろうとしなかった」へ。自らの“不作為の罪”を認めたことは、彼女の心境における大きな変化であり、この問題の根深さを物語っています。
この告白が、イメージ回復を狙ったPR戦略なのか、それとも一人の人間としての純粋な懺悔なのか。その真意を測ることは、誰にもできません。
しかし、間違いなく言えるのは、彼女の言葉によって、これまで聖域とされてきた巨大なエンターテインメント帝国の、歪で、閉鎖的で、そしてあまりにも人間的な「家族の物語」が、白日の下に晒されたということです。
この告白をきっかけに、日本の芸能界が、そして私たちメディアの受け手が、どう変わっていくのか。その重い問いが、今、私たち全てに投げかけられています。
Tags: 藤島ジュリー景子
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